兼業農家という生き方
超楽しい3足のわらじ生活
2016年の春、20代の時に働いていた東京の農業系出版社を辞め、妻の親戚がいる大阪の能勢町に移住しました。
現在は、農業、植木屋、農村・農業をテーマにしたライターの仕事と3足のわらじを履いて、なかなかに充実した日々を、楽しく、忙しく過ごしています。
つまり、私の農業は、他の2つの仕事と並行してやっている超小規模の兼業なのです。
まずは、兼業農家の現状をざっと紹介します。
副業が農業に生きる、兼業農家の魅力
作付面積 | 30アール |
労働力 | 私1人。妻は会社勤めで、ときどき配達をお願いしている |
主な農業機械 | 妻の祖父が使っていたトラクターと3万円で買った中古の管理機のほか、刈り払い機(約3万円)、バッテリー式農薬散布機(5000円) ※ 機械や道具類は、規模が大きくなるにつれて必要なぶんをコツコツと買っている |
2020年の大きな出費 | ・2020年は鳥獣害対策で10万円程度の出費 ・55平方メートルの育苗ハウス建築費40万円、電熱温床3万円。果菜類の育苗ができるようになった |
売り上げ | 2020年の1年間で120〜150万円。 内訳は、直売所6割、飲食店や個人宅への配達4割 |
バリバリの専業農家の人からすると、面積も売り上げも本当に小さな農家ですが、私は今の暮らしが気に入っています。「兼業農家」という生き方です。
出版社時代には、各地の農村に取材に行き、世の中にはいろんな農業のかたちがあることを知りました。雪国の穀倉地帯の農家は兼業農家がとても多く、農閑期には自分の得意なことや、家庭の都合に合わせた仕事をしていました。
兼業農家というと、世の中的にはどこか消極的なイメージを持たれがちですが、私はそうは感じませんでした。林業や土木業、大工など、畑だけでは得られない技術を働きながら学び、それを農繁期の農業に生かす姿が格好よく見えたのです。今のような生活になるとは思っていませんでしたが、そのときから兼業農家ならやってみたいという気持ちがありました。
植木屋の仕事にしろ、ライターの仕事にしろ、私にとっては所得を補うための副業というだけではなく、相互に響き合いながら、植物や農業に関する知識を深めるための勉強でもあるのです。
趣味の家庭菜園から、売り上げ150万円の小さな農家に
ここからは、私が兼業農家になるまでのいきさつをできるだけ詳しく書いていきます。
1年目 趣味の家庭菜園時代
もともと園芸植物を育てるのが好きでしたので、田舎に住むからには家庭菜園をやってみようと思っていました。
近所の人に缶ビール1ダースを持っていき、1アールほどの小さな畑を借りました。この時は植木屋に従業員として就職していましたから、唯一の休日である日曜日に畑作業をしていました。
育てた野菜は自家消費をしていましたが、余った野菜はというと、まわりのほとんどは農家でもらい手もなく、次第に余りはじめました。
冷蔵庫はパンパン。収穫するモチベーションも下がりました。カサカサになった取り遅れのトマトを見た妻からは「もったいない。イライラする」と叱られてしまいました。
2年目 日曜百姓時代
そんな事情もあって、せっかくだしと地元の直売所に登録しました。
直売所によってさまざまでしょうが、うちの場合は「町内在住であること」「農協の口座を持っていること」「出荷者説明会に一度参加すること」だけが条件でしたので、難なく直売所農家になることができました。
直売所には、毎週休日の日曜日に収穫・出荷し、月2〜3万円ほどのお小遣い稼ぎにはなりました。
いざ販売するとなると畑作業に力も入り、売れるに値する品質のものをつくることを考えはじめ、直売所で確実に売り切るための工夫もしだしました。しかし、「いいものを安く」という直売所なので、普通にやると、値段でも、品質でも勝てっこありません。小さな畑でつくった貴重な野菜だから、高く売りたくなるのです。
そこで、「競合の少ない品目をつくる」「まき時期や、品種を変えて、ずらし出荷をする」「梱包にこだわる」「切り花や花壇苗など、小さな面積でも稼げるものをつくる」のような工夫をするようになりました。
品目としては、密植できる切り花やラディッシュ、小カブ、パクチーなどや、庭先でもたくさんつくれる花壇苗・野菜苗など、面積当たりの売り上げが高いものを中心につくりはじめました。1アール程度の畑でも、畑をフル活用し、できたものを売り切れれば、上記のような売り上げくらいにはなります。
やがて、売るための工夫やアイデアを考えることが楽しくなり、農業をなりわいの一つにしてみたいという気持ちが芽生えてきました。
4年目から現在 兼業時代
植木屋勤めの日曜百姓だけでは農作業に十分に時間がとれないので、従業員としては退職し、真夏の草刈りや年末の剪定など、農業が比較的暇な時期で、かつ植木屋の人手が必要な時に行けるようにしてもらい、自営業者となりました。
その頃になるとライターとしての仕事も増え、太陽が出ている時間は農業をし、日が沈んでから眠くなるまでは原稿を書く、という生活がはじまりました。
こう書くと、のんびりとした暮らしな感じがしますが、実際は下の図のように農繁期はなかなかハードな生活です。それでも、自分が楽しいと思える、生活の役に立つ仕事しかやっていないつもりなので、しんどくはあるものの、ストレスはいっさいありません。
また、時間に余裕ができたので、妻の実家にある遊休水田を畑に戻し、合計で30アールと、相変わらず小さいながらも、規模拡大をしました。
さらに、農協の准組合員の制度を知って入会もしました。年1000円と組合費は安いですが、ハウスの資材や、鳥獣害対策用の資材を購入する際などに、さまざまな支援を受けられるので、オススメです。
アジア野菜がヒット
現在も直売所への販売が中心ではありますが、もう一つの軸としてはじめたパクチーや各種バジル、タイナス、レモングラスなどのアジア野菜を飲食店8軒に届けるようにもなり、2020年からはそっちの売り上げが増えてきました。
飲食店への営業は一度もしていませんが、知人からの紹介と、飲食店の人がInstagramの投稿を見て声をかけてくれることで、自然と増えていった格好です。
私が心掛けているのは、どんな少額の取り引きでも親身になって引き受けることです。最初は1000円以下でも、店長や従業員も潜在的な個人のお客さんです。その人たちが家庭で使う野菜もついでに届けたりするうちに合計金額は自然と高くなっていきます。
また、お店と相談しながら、その店のためだけの品目をつくることもあります。マニアックなアジア野菜などが多く、使う量も少なかったりするのですが、余った分は直売所でなんとかして販売しています。
これらの飲食店との付き合い方は業者では難しく、小回りの利く小さな農家だからこその仕事の仕方だと思います。
いろんなことをやらざるをえないからこそ、百姓は楽しい
アジア野菜から「小商い」が生まれる
アジア野菜の栽培をはじめると、そこから派生する仕事も増えてきました。というか、増やしていきました。
個人で小さな商売をはじめるのが簡単な時代です。アジア野菜の種苗もまた少なからぬ需要があり、2020年にはタイから自分で使うために輸入したタネの余りや、そこからつくった苗を販売するネットショップを立ち上げました。また、畑で撮影したタイ野菜の写真を写真素材サイトで販売しはじめたりと、やるべき仕事やアイデアがたくさんわいてきます。
さらにこの冬からは、各飲食店とコラボした加工品をつくりたいと計画を立てているところです。
これはまだ夢の段階ですが、アジア野菜や食材を販売する、在日アジア人にやさしい食材店をオープンするなど、妄想は膨らんでいます。
土とタネさえあれば、ジャンルレスに自分の発想をすぐに形にできる農業。こんな楽しい仕事は他にないように思います。野菜の販売だけで満足いくほど稼げなくても、アイデアさえあればいろんな稼ぎ方が生まれます。
専業農家だけが農業じゃない
最近、「脱サラして農家をしたいけど、どうしたらいい?」と聞かれることが多くなりました。そんな場合は、上記のような自分の話をして、いきなりもともとの仕事を辞めるのではなく、まずは土日百姓をしたらどうか、と答えています。自給目的ではなく、販売目的で、です。
計画することは大事ですが、実際にやってみると、自分の暮らしに合うような農業の仕方が見つかることと思います。何も専業農家だけがゴールではありません。そして、私のような筋道が正しいとも思いません。
ところで、「農家は儲からない」という呪いの言葉をよく耳にします。農家自身がつぶやくこともあります。就農希望者にとってはもちろん、現役農家にとっても、誰の得にもなりません。確かに、兼業農家などは巨万の富を得るのは難しいかもしれませんが、真面目にやれば農業を続けていけるくらいは稼ぐことができます。「農家は儲からない」と言う人がいれば、一度、それはなぜなのか具体的に聞いてみることをオススメします。私の経験では、8割くらいが根拠のない話でした。
だいたい、儲かる儲からないは、やりたい生活と照らし合わせながら自分自身で決めるべきだと思います。
「呪いの言葉」を真に受けず、まずはやれることからはじめてみることがいいと思います。