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挫折を経験するも独立就農、カリスマ農家から学んだ価値とは

吉田 忠則

ライター:

連載企画:農業経営のヒント

挫折を経験するも独立就農、カリスマ農家から学んだ価値とは

独創的な発想を持ち、新しい営農の形をつくる人がいる。だが後に続く人がいなければ、その影響は限られたものにとどまる。手渡されたバトンを、どうやって受け継ぐか。カリスマ農家として知られる久松達央(ひさまつ・たつおう)さんのもとで働き、茨城県つくば市で就農した十川英和(そごう・ひでかず)さんに取材した。

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10年勤めた会社をやめ、就農を決意するも挫折を経験

十川さんは現在、43歳。30アールのハウスと85アールの畑で、コマツナやホウレンソウ、トマト、キュウリ、ニンジンなどさまざまな野菜を育てている。茨城県土浦市で久松さんが運営する久松農園で5年半ほど働いた後、2020年1月に独立した。

久松さんは有機農業の世界で広く知られた存在だ。「有機で育てた野菜はおいしい」など一般に流布されてきた見方に疑問を投げかけ、有機栽培の意義について独自の考えを提示。講演ではキレのある論理と表現で聴くものをうならせ、著作も発表し、若い農家やシェフに幅広く影響を与えてきた。

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十川さんは久松さんのことを、「ゼロからものを生み出すことができる人」と指摘する。起業家的な発想で、営農を発展させてきた人と言い換えてもいい。だが、すべての人が独創的な経営を実現できるわけではない。

久松達央さん

若い農家に影響力を持つ久松達央さん

ほとんどの人は、先を走る人の手法をときに模倣し、ときにアレンジしながら自分なりのやり方を模索している。十川さんも自分は久松さんのようなタイプではないと自覚している。そんな十川さんが大切にしてきたポリシーがある。自分が苦手と思うことに、あえて挑戦してきたのだ。

では就農までの歩みをたどってみよう。

大学を卒業し、外食チェーンで数カ月働いた後、遺伝子解析を手がけるベンチャー企業に移った。割り当てられた仕事は営業。しかも担当は自分1人。「人と初対面で仲良くなるのは苦手なので、営業は向いていない。でもできたほうがいい」。当時そう考えたという。

さまざまなトラブルも経験したが、徐々に仕事に慣れていった。「いまも人見知り」と言うが、営業をこなすことのできる手応えをつかむことはできた。そして10年が過ぎたとき、別の仕事に挑むことを決意した。農業だ。

大学時代に植物栄養生理学を専攻したこともあり、頭の片隅に「農業をやってみたい」という気持ちがずっとあった。実行に移せなかったのは、「無理だろう」と思ったからだ。だが脱サラして就農した人の情報をいくつか聞くうち、「頑張れば自分にもできるのではないか」と考えるようになった。

農業を始めようと心を決め、35歳のときに会社をやめた。まずある農場で1年間ほど栽培技術を学んだ後、久松農園で研修に入った。久松さんの著書を読み、合理的な考え方に引かれたからだ。当初はしばらくしたら独り立ちしようと考えていた。だがそこで挫折を経験した。

十川英和さん

脱サラして農業を始めた十川英和さん

営農の考え方でズレを意識するようになった

久松農園の特徴の一つは、多品種少量栽培にある。そこで求められるのは、数多くの作物の栽培を段取りよく進める能力だ。数十種類もの野菜を相手に、種まきから収穫まで同時進行でテキパキこなすスキルが必要になる。

ここで大きな壁にぶつかった。「苦手なことから逃げない」をモットーにしてきた十川さんだが、たくさんの作物を一度に育てる難しさを乗り越える糸口がどうしても見つからなかった。とくに現場のリーダー的な仕事を任されたとき、自分の限界を強く意識した。

研修を始めて1年が過ぎたころ、自ら農場を経営するという目標がかすんで見えなくなった。「そもそもどんな野菜をどうやって育て、どう売りたいと思っているのか」。独立の前提となるプランも持っていないことに気づいた。

このとき、手を差し伸べてくれたのが久松さんだ。「社員になってくれるなら、やってほしい仕事がある」。販売管理など事務の仕事だった。飲食店や個人客からの注文をまとめ、パートに出荷を指示し、資材の代金を振り込む。前職と共通する仕事を任されたことで、農業の世界に踏みとどまることができた。

販売管理のころ

久松農園で販売管理を担当していたころ

会社をやめたとき決意した独立は、ひとまず遠のいた。だが久松農園で社員として働く中で、十川さんは再び独立を考えるようになる。営農に関する考え方で、久松さんとズレを感じることが増えたのだ。細かい点の一つ一つで、「こう改めたほうがいいのではないか」と思うようになった。

十川さんも強調しているが、どちらかが正しいという問題ではない。あらゆる仕事がそうであるように、真剣に向き合うほど個々の違いが鮮明になる。そして久松さんには栽培から販売まで時間をかけて深めてきた美学があり、譲れない一線がある。社員の立場でその見直しを求めることはできない。

ここで十川さんは、とても大切なものを手に入れた。営農のプランだ。

久松さんは農薬や化学肥料を使わずに野菜を育て、味に強いこだわりを持つシェフや、家庭でじっくり調理を楽しむ個人に売っている。カリスマ性の強い久松さんの個性も重なり、そこには「特別な食事」の魅力がある。

これに対し、十川さんは「地元の人がふだん食べる野菜をつくりたい」と思うようになった。どうしても値段が高くなりがちな有機栽培ではなく、農薬や化学肥料も使って効率的に野菜を育てる。販売方法は久松農園のように宅配で遠くの顧客に届けるのではなく、軽トラで自分で運べる直売所に出荷する。これが十川さんのあたためた営農プランだ。

こうした計画について、十川さんは「久松農園で働いているうち、内側から湧き上がってきた」と話す。「やっぱり独立したい」と久松さんに話したのが2019年はじめ。農地を確保し、1年後に独立した。

日々食べる作物

地元の人が日々食べる作物をつくりたくなった

久松農園で学んだ最も大切なものとは

独立してから1年10カ月。十川さんは久松農園との違いについていまどう考えているのだろう。十川さんにそう聞くと、「あそこで学んだことが自分の基礎になっていることに気づいた」という答えが返ってきた。

例えば、有機農業は農薬を使えないので、作物の上に防虫ネットをかぶせる。十川さんが選んだのは有機農業ではないが、もし農薬をまくべきときに作業が集中するなら、むしろ防虫ネットを使ったほうがいいのではないか。そんなふうに考え、さまざまな栽培方法を試している最中という。

価値観を共有

野菜に対する価値観を共有している

もっと大きいのは、どんな野菜をつくりたいと思うかという営農の根っこの部分だ。十川さんによると「軟らかくて甘い野菜ではなく、うまみと風味がある野菜」という。そこには、久松農園で過ごした5年半が深く影響している。十川さんはその背景について、次のように話す。

「目の前にいくつかの選択肢があるとき、その中のどれを選ぶべきか。久松さんとずっとそういう話をしてきた。表面的には違うやり方をしているが、久松さんの核の部分を忠実に守り、受け継いでいると思う」

困難をものともせずに力強く突き進み、新しい価値を生み出せる人はすばらしい。だが一方で、自分には難しいと感じ、ときに挫折しながらも、前に進もうとする生き方にもそれに負けない価値がある。

久松さんという強い個性を持つ人との違いと共通点をともに意識しながら、独り立ちした十川さんは、今後どう営農を発展させるか。いま始まったばかりの物語の未来に注目したいと思う。

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「食と農」の現場を日々取材する記者が、田畑、流通、スマート農業、人気レストランなどからこれからの農業経営のヒントを探ります。
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