■小川光さんプロフィール
1971年、東京大学農学部卒業。福島県園芸試験場、喜多方農業改良普及所、県農業試験場、会津農業センターなどを経て、1999年に退職、専業農家となる。2005~06年、トルクメニスタン国立農業科学研究所研究員。
東大卒、県職員を経て中央アジアで研究員に
小川さんは1971年に東京大学農学部を卒業した後、福島県職員として農業試験場に入職した。4年後、試験場だけでは生産現場のことがわからないからと、自らも近隣に農地を借りて栽培を開始。水利条件の悪い山間地のために無潅水栽培の開発にも取り組んだ。
1999年、試験場の職員のままでは現場生産者に技術を伝える機会が少ないことを理由に退職、専業農家となった。2005~06年にはトルクメニスタンへ渡航して国立農業科学研究所の研究員となり、さらに2013~15年にはカザフスタンやキルギスにも2年間滞在し、乾燥地帯である中央アジアの品種や技術の研究を重ね、自身の農法に導入した。
小川さんが所有していた農地の大部分は長男の未明(みはる)さんに譲り、現在自分で栽培している農地は全部で約57アール。大型ハウス(約6.3×44メートル)7棟と、小型ハウス(約5.4×35メートル)8棟があり、そのうち小型ハウス1棟を育苗棟として兼用している。
それ以外にも5.4×18メートルの小さなハウス4棟が別の地区にあり、小川さんの技術を学びに来た研修生に無償で貸している。研修生は小川さんが購入した地域の空き家(全5軒)に寄宿している。
無潅水で施設栽培しているのはトマトとメロン。1棟当たり各50株定植する。その他にも、カボチャ、インゲン、ササゲなども栽培・出荷していて、トルクメニスタンなど海外原産の珍しい品種もある。
出荷先は産地直売所、道の駅、小売店、マルシェ、ネット通販など。トマトの場合は加工用にまわしている分の割合が大きい。加工・販売は主に娘の美農里(みのり)さんが担っている。
選択的除草で、農薬も化学肥料も使わない
小川さんのチャルジョウ農場(福島県喜多方市)で行っている農法は無農薬・無化学肥料を基本とする自然栽培だ。
多本仕立てと溝施肥・穴肥の技術は、無潅水栽培の基礎になっているのと同時に、自然農法も可能にしている。これらと共に小川さんの自然栽培を支えているもう一つの技術が、選択的除草である。
チャルジョウ農場ではハウス内外に生える野草を、あえて刈り取らずそのままにしている。主な目的の一つは大雨などによる土壌の浸食を防ぐこと。もう一つは虫のすみかを用意しておくことだ。
虫が好む野草を農場内に残しておくことで、農作物につくのを防いだり、生態系を作ったりすることができる。生態系が作られると害虫を食べる天敵の数も増えるので、病害虫の被害を小さくできるのだ。また、受粉をしてくれるマルハナバチが巣を作る場所にもなるというのも大事なポイントだ。
もちろん、すべての野草をほったらかしで生やしているわけではない。作物の邪魔になる草は抜いたり、刈ったりして除草している。例えば、つる性の草はハウスのパイプを伝って日当たりを悪くし、丈の高いイネ科植物は風通しを悪くするので必ず刈り取る。
どの野草を残し、どの雑草を除去するかは、作物への影響、病害虫の予防効果、野草同士の相性など、小川さんが観察してきた中から選択している。
除草する草と残す草の代表例は以下の通り。
・除草する草
アシ、イチビ、イヌガラシ、オオイヌノフグリ、カヤ、クズ、トキワハゼ、ナズナ、メヒシバなど
・残す草
ヨモギ、アカザ、アサツキ、イヌビユ、カキドオシ、ドクダミ、ナギナタコウジュ、ヨメナ、ワラビなど
ただし、ヨモギのように有益な野草であっても、作物のすぐそばに生えていたり、丈が長くなってきたりすれば、生育の邪魔になる。そのときは、刈るか、踏みつけるかして伸びすぎないように手入れする。
小川さんがカザフスタンに行っていた2年間は、農地が手つかずだったため、帰国した次の年は虫がかなり多く出た。「でも、それからは生態系ができてきたのか、毎年少しずつ虫が減ってきています」(小川さん)
さらに、育種学の造詣も深い小川さんは、独自に品種改良を行っている。チャルジョウ農場のオリジナル品種であるミニトマト「涙の泉」は、市販のF1品種「紅涙(こうるい)」からF2を選抜、固定させたものである。
また、糖度が高くえぐみもないメロンは、トルクメニスタンから種を持ち帰り、日本原産のウリと交配させたものだ。海外産の珍しい品種で、しかも無農薬であるとして、一般に流通する品種よりも高値で売れている。
小川さんは品種ごとに異なる特性をつぶさに観察し、選抜・交配を重ねることで農地の環境や栽培方法に適した品種を開発してきた。
自然栽培での経営は、こうした技術の一つ一つをうまく組み合わせることで成り立っていると言えよう。
今の農業に思う、やめるべき3つの農法
生物学、化学、土壌学など、広い専門領域にまたがる農学を修めてきた小川さん。多本仕立てや溝施肥・穴肥などで植物本来の力を引き出すことにより、慣行栽培の常識とは異なる「合理的な技術」で無潅水栽培や自然栽培を成功させてきた。
そんな小川さんが、今農業で行われている栽培方法でやめるべきだと感じている農法が3つあるという。
1. リンゴの葉摘み
リンゴは出荷数十日前に葉摘み作業をする。果実に日光を当てることで赤く色づかせるためだ。
しかし、リンゴは赤くきれいに色づいたからといって甘みが増すわけではない。赤くするのは、あくまで見た目を重視する消費者のためでしかないのだ。
見た目のためだけに農家が大変な労力を費やすことに、小川さんは疑問を抱く。
2. ブルームレスキュウリ
キュウリはピカピカとしたつやのある緑色のものが消費者に喜ばれる。消費者はそうしたキュウリに鮮度の良さを感じるし、ブルーム(キュウリ自身が出す白い粉)を「残った農薬が固形化したもの」と勘違いする人もいるからだ。ブルームレス台木を使ったキュウリが作られるようになったのには、そうした消費者ニーズが背景にある。
ブルームはケイ素を含む物質で、作物の病害虫を抑制する効果がある。ケイ素が吸収されなければ、うどんこ病などの病害虫に弱くなり、農薬の使用量も増えてしまう。
また、ブルームレスキュウリは水分の蒸発を防いでくれるブルームが果皮にないため、皮が硬くなり、漬物に加工しても味が染みにくい。そのため漬物には不向きな品種であり、市販品の原料の多くを外国産キュウリに頼っているという現実がある。
消費者の誤った認識に合わせすぎた品種改良によって、生産・加工現場がいびつになっているのだ。
3. イネの欠株の手植え
田植え機で田植えをしていると数本の欠株が出ることがある。「もったいないから」と、欠株になった箇所を手植えで埋めていく農家があるが、それによって収量が大きく変わるわけではない。このことは実証データにも表れている。
「欠株の手植えは労力ばかりかかるのでやめるべき」と小川さんは主張する。
農家があたりまえのように続けている栽培方法の中には、消費者が求める見かけだけの問題であったり、昔から行われている慣習的なものでしかなかったりすることが多い。
まずは今の常識が本当に合理的なのか、疑ってみる必要がある。
慣行栽培の「あたりまえ」を疑うには農学の知識が必要
小川さんは、自身の開発してきた技術を「受け継いでくれる後継者がほしい」と語る。
チャルジョウ農場では毎年1~2人、多い時で5人ほどの研修生が小川さんの下で農業を学んでおり、これまでに50人以上に指導してきた。
だが、研修生の中に農学の基礎を身につけている人は少なく、小川さんの栽培技術を根本から理解する力は不足している。
小川さんの開発した技術は、あくまで会津地方の山間地に合わせて開発されたものである。乾燥した土、水はけのいい地域、豪雪地帯という気候など、この地域の特徴に合わせた農法の研究や品種改良の上に成り立っている。小川さんに言われたとおりのやり方を別の地域に持ち帰ったとしても、うまくいくとは限らない。学んだことを理解し、応用するためには、科学の基礎的な知識が必要だ。
小川さんは、農業の技術は科学的な知識と実証に基づいた合理的なものでなければならないと考える。合理的であるからこそ、地域の特性や、生物・土壌などの変化に合わせて技術を更新し続けることができるのだ。
そんな小川さんから、これからの農業を担っていく若い農家へのメッセージをもらった。「これまであたりまえとされてきた慣行栽培が、必ずしも正解であるとは限りません。今常識とされる栽培方法の多くは、関連企業が利益を上げるために作ったものです。それが必ずしも農家にとっても良いこととは限りません。まずは疑ってみること。それから、農家自身が自分の儲けになることを考えてください。そのためには、やはり基礎となる知識をしっかり学んでおく必要があります。そして、植物が本来持っている力をちゃんと引き出してやればいいのです」