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ホストから和牛オリンピック日本一へ 仕事も遊びも全力な牛飼いに迫る!

くきの ゆかこ

ライター:

ホストから和牛オリンピック日本一へ 仕事も遊びも全力な牛飼いに迫る!

「全国和牛能力共進会」は、通称「和牛オリンピック」と呼ばれる和牛の品評会。今回スポットを当てるのは、2022年10月に開催された第12回大会で内閣総理大臣賞を受賞した牛を育てた藤山 粋(ふじやま いき)さん。家畜人工授精師であり、地元のコミュニティーFMでパーソナリティーも担うマルチぶりを発揮しています。型にハマらないスタイルのルーツを知るべく、鹿児島県霧島市福山町にある藤山さんの農場へ行ってきました!

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歌舞伎町のホストから牛飼いへ。彼女の言葉が人生を変えた!

「分娩(ぶんべん)が始まるかもしれないから、状況によっては取材を待ってもらうかも」。直前の連絡でそう言われ、農場で姿を見つけた時はすでに分娩に備えた作業をしていた藤山さん。声をかけるのもためらうほどの集中で、見ているこちらの気持ちもピリッと引き締まるほど。

ただ、そのおかげで待機している間、藤山さんのお母様から農場を案内していただく機会に恵まれました。繁殖農家として母牛36頭を育てていること、お産の上手な牛がいること、つい数日前には準備する間もなく仔牛が産まれたことなど、一頭ずつの顔を優しく見ながらにこやかに話す様子に、先ほど引き締まった気持ちがほどけていきます。後に藤山さんから聞いた、ご両親共に牛が大好きという話も大いに納得です。

子供の頃から、元気で明るく、おしゃべり上手。家業の畜産を手伝い、牛がいる日常を当たり前として育った藤山さん。ご両親に負けず劣らず牛が好きだったけれど、将来それを仕事にしようとは考えていなかったと言います。「何になりたいか、15歳の自分には分からなくて。高校も大学も、とりあえず行ってみてから考えればいいだろうと。でも漠然と、金持ちになりたい、とは思っていました(笑)」。そんな気持ちのまま地元の高校を卒業し、お父様の勧めで日本獣医畜産大学へ。とりあえず獣医師を目指す道を歩き始めます。

ところが一年半後、アルバイトに選んだホストの仕事で才能が花開き、大学を中退。仕事に夢中で、やりたいことをかなえている充足感を得ていた27歳の時、転機が訪れます。

「父から手紙が届き、便箋4枚に渡って、帰郷して家業を手伝って欲しいという言葉がつづられていました。今は、手紙という連絡手段に気持ちの強さが表れていたんだと分かりますが、当時は東京で楽しくやっていたし、帰りたくないから気付かないわけですよ。付き合っていた7つ年下の彼女に手紙の内容を話したら、この手紙を読んでも帰らないなら本当の親不孝者だ、と一喝されて、現在に至るわけです」。藤山さんの人生に、ビシッと道筋を付けたともいえる彼女とは30歳の時に結婚。今も農場の仕事を手伝いながら、公私ともに藤山さんを支える存在です。

スロースタートで畜産農家デビュー!

27歳で地元に戻り、畜産農家デビュー。同世代の仲間はすでに経験を積み、ずっと先を行っていました。ホスト時代の実績からも、コレと決めたら努力を惜しまないところがあるのでは、と推察される藤山さん。スロースタートではありましたが、お父様から手ほどきを受け、家畜人工授精師のための勉強を始めます。「早く追いつきたい、少しでも追いつきたい。だから先輩・後輩、周りの人たちにも積極的に教えを乞いました」。真摯(しんし)な思いと生来の明るさ、そしてホストの仕事で磨きをかけたコミュニケーション能力で、今や多くの繁殖農家から信頼を得る家畜人工授精師に成長。霧島市のみならず、依頼を受ければ高速道路を使って50分ほどかかる隣市まで出かけ、必要とあらば分娩にも立ち会います。そのような日々の中で、繁殖農家としても、2022年大きな功績を上げることになります。

和牛オリンピック初出場で日本一に

2022年10月藤山さんは、和牛日本一を決定する「第12回全国和牛能力共進会」(以下、和牛オリンピック)に鹿児島県代表として初出場することが決まりました。3頭が出場する、種牛の部第4区(繁殖雌牛群)に手塩にかけて育てた雌牛の「てるはな号」が選ばれたのです。全国からえりすぐりの牛が集まる中、初出場にもかかわらず自信満々で臨んだそうです。自信の根拠を尋ねると、「ゾーンに入っていたとしか言いようがないです。牛たちからオーラが出ている感じ。尊敬する他県の同業者からも最大の賛辞をもらったし、これで負けても後悔がないほどの仕上がりでした。また『チーム鹿児島』として、出場する生産者だけでなくJAや市町村など、関係者が一致団結して鹿児島県代表の牛を日本一に輝かせたいと取り組んできたこともあり、負ける気がしませんでした」

大会前から「日本一を取る」と公言していた通り、「てるはな号」をふくむ種牛の部第4区(繁殖雌牛群)では1位を獲得。更に各区の1位の中から最も優れた牛(牛群)に与えられる内閣総理大臣賞(種牛の部、肉牛の部ごとに選出)にも選ばれました。「有言実行できたのは周囲のサポートがあったから。みんなの念願がかなったこともだけど、奥さんが流す“嬉し涙”を初めて見られたのも感慨深い経験でした」と、感謝の思いを話す藤山さん。実は大会期間中に出場部門の審査発表があった10月9日は、17回目の結婚記念日でした。1009(センキュー=感謝)の語呂合わせが気に入ってこの日に結婚したのだそう。しかも「てるはな号」の出品番号が39(サンキュー)だったというから出来すぎです。

仕事も遊びも妥協ナシ。目指すは唯一無地の牛飼い

愛のある受賞後のエピソードに続けて、予選会で鹿児島県代表に決まった8月末から和牛オリンピックに出場するまでの怒涛の40日間についても話をしてくれました。仕事だけでなく、海釣りや麻雀、お酒も大好きな藤山さん。大事な本番に向け、好きなものを控えて願を懸けるという話はよく聞きます。しかし、好きなものを我慢せずに、どれも全力投球しようと藤山さんが考えたのが睡眠時間の短縮でした。

「てるはな号」の仕上げに向けた入念な世話はもちろん、オフタイムの楽しみもいつも通り。そのため、40日のうち30日は高めの栄養ドリンクを摂取。おかげで充実期(藤山さんは普段から、忙しいという言葉を極力避け、充実していると置き換えています)を乗り越えたものの、大会期間中に突然、足首に激痛が。よく見ると腫れもあり、急いで病院へ。診断結果はまさかの痛風。和牛オリンピックのテレビ取材などでお茶の間に多少なりとも顔が知られていたため、病院から薬局まで痛い足で歩いている間に、交差点で止まった車の運転手さんと目が合って「おめでとう!」と声をかけられたそう。「うれしいやら情けないやら複雑な気持ちになりました。充実しているとき、気軽にエネルギー補給ができると思って栄養ドリンクを飲み過ぎない。和牛オリンピックで得た教訓の一つです(笑)」。

仕事も遊びも欲張る。好きなもの・ことに対して真摯に向き合うスタイルは、日本一の称号を手にしても揺るぎません。貫くことは簡単ではないし、壁にだってぶち当たります。「けど何事も自分の思い通りに進むと面白くないと思いません? アクシデントや失敗が次の原動力になるし、成功の喜びも大きくなるはず。これからも自分らしく、挑戦を続けていきたいですね」。そう語る藤山さんが抱く大きな夢は、唯一無二の種牛(たねうし)になるような雄牛を育てること。全国トップクラスを誇る畜産県の繁殖農家に転身してから、たくさんの人から受けた恩と愛情を“返す”のではなく、次代に“送る”ために、信じた道を迷わず突き進んでいくのでしょう。

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