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大手農業法人から独立 災害を乗り越え東北エリア最大級のベビーリーフ農家へ

大手農業法人から独立 災害を乗り越え東北エリア最大級のベビーリーフ農家へ

2019年に関東甲信越や東北を襲った台風19号(令和元年東日本台風)。内閣府によれば農林水産関係の被害額は約3450億円 。被災した農家は数知れません。宮城県黒川郡の株式会社夢実堂(ゆめみどう) もその一つです。当時54棟あったビニールハウスのうち約40棟が倒壊。「経営も危ぶまれた」と話すのは代表の岡田卓也(おかだ・たくや)さんです。
被害を乗り越えて、今では東北エリア最大級のベビーリーフ農家となった同社。立て直しの背景には施設園芸界をけん引する一人である果実堂の高瀬貴文(たかせ・たかふみ)さん の存在がありました。

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台風で約7割のハウスが倒壊

令和元年東日本台風による被害は各地に及びました。宮城県も大きな被害を受け、夢実堂では約7割のハウスが倒壊します。
辺り一面に押し寄せた川の水と、強い風。鉄骨パイプはひしゃげ、あばら家同然にもなったビニールハウス。残ったのは十数棟。
「事業を畳もう」という選択肢もあった中、岡田さんは継続を決めます。「災害を受けた人も、そこから立ち直った人もいっぱい居ます。自分たちの武勇伝のようにしたい気持ちは全くありません」
他人に対して誇ることではないと考える岡田さん。「一緒にやってくれた人のお陰」と話し、その一人が果実堂の高瀬さんでした。

①

果実堂の初期メンバーの一人として

2005年に熊本県で井出剛(いで・つよし)さんにより創業された果実堂。岡田さんは設立間もない頃に入社します。
「井出社長(当時と、私の父親が縁があったことから入社しました。私自身は『農業をやりたい』という気持ちがあったわけでもありません。けれど、たまたま入社したのが、今、農業界のトップランナーになっている果実堂でした。ただ失礼ながら入社当時はまだ、トップランナーの『ト』の字も付かない頃でしたね」

設立間もないこともあり、若いメンバーが多かったという当時の果実堂。「大学のサークルのよう」な雰囲気もあったと岡田さんは話します。
そこに、科学的な分析を基にした「サイエンス農業」に力を入れる高瀬さんが入社。数々の改善施策や、14毛作を可能とする「高瀬式14回転ハウス」の採用などにより、事業が成長していきます。
「私は果実堂で5年働いていました。そのうちの4年半くらいは、高瀬さんと一緒に居ました。ほとんどのメンバーは熊本出身でしたが、高瀬さんは県外から来ていましたし、私も東京出身。お酒を飲んだりよくコミュニケーションも取っていましたよ」(岡田さん)

当時の果実堂メンバーと。

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高瀬貴文(たかせ・たかふみ)さん は、建築士から新規就農しコンサルタントとして株式会社果実堂に入社した異例の経歴の持ち主。科学的な分析をもとにした「サイエンス農業」と、飽くなき「改善」で農業の課題を解決してきた。農家が業…

改善の歩みを共にする

果実堂で働いていた当時の、印象的な変化は二つあったと岡田さんは話します。
「一つは、格好良く言うと『科学的に農業をやるようになった』ということですよね。それまでの感覚的な栽培が、数値化・理論化していきました」
果実堂の特徴的な水管理手法の一つ「触診」もその当時に作り上げられたと言います。
「また、工程管理ですよね。『何時から何時まで、誰が何をやるか』という、一般的な会社なら当たり前のことが、当時は曖昧だったんですよ。その日誰がどこに行くかも、朝にジャンケンをして決めるようなレベルでした」

そこで得た知見が現在にも生きていると岡田さん。
「当時のメンバーは必死にやっていましたし、私も厳しく鍛えられました。高瀬さんご本人には怒られるかもしれませんが、当時の高瀬さんは今以上にストイックで、鬼のよう(笑)。でも私も他のメンバーも反発は無かったですよ。各自が自己成長を望んでいたと思いますし、何より高瀬さん自身が誰よりも働いていましたから。高瀬さんは風呂に入る時も本を読んでいたような人で『この本読んだら?』とか言ってくれたりして」
当時、自然災害などによる危機も間近に見ながら、対処法や向き合い方も学んだと振り返ります。
そんな成長著しい中で、岡田さんは実家で営んでいた夢実堂へと移ることになりました。

※土を手で握ることで、土壌水分量を誤差1%以内で知るという方法。

③

農業経営で苦戦する

岡田さんの実家は、製薬関係機械の販売を本業としています。夢実堂は、その実家の会社が事業の一つとして農業参入したことに端を発します。
まず、本業と夢実堂の、両方の役員に就くことになった岡田さん。
夢実堂は、立ち上げ時からの経営不振もあり、借り入れが多かったそう。それを果実堂の高瀬さんと連携しながら、融資や補助金も受けられる状態にまで経営を立て直します。
そして東北第一号となる、高瀬式14回転ハウスを建設。2018年の冬のことでした。

2019年。令和元年東日本台風は、建てたばかりのハウスも含め、約40棟を倒壊させます。
上向きになってきてはいたものの、まだまだ経営は不十分だった夢実堂は、事業撤退も検討されます。岡田さんに対しては、他の経営陣から厳しい言葉も飛んだと言います。
「精神的にはきつかったです。けれど、ハウスが潰れたその日に高瀬さんと話して『何が何でも復旧させる』と約束をしたんですよ。私自身の気持ちは折れていなかった。なぜかと言えば、社員や高瀬さんや周りの人が居たからですよね」

④

被災以前よりも規模拡大した現在

ビニールハウスの解体工事は2021年まで掛かり、栽培もままならない状態が続きました。その間、果実堂から無償提供されたベビーリーフで売り上げを立てたり、周辺で使われていなかったビニールハウスを借りたりしながら、再起を図りました。
それまで散らばっていたビニールハウスをできるだけ集約し生産効率を高め、規模も拡大。
「無駄なものは無くして、生産効率を上げる。品質を安定させて、収量を上げて、それを出荷できる物流を整えることで改善を繰り返していけば、もうかっていくというイメージができています。果実堂で学んできたことですね」

現在、ビニールハウスは74棟まで増え、売り上げは1億円超。1日当たり9000パックを生産する東北エリア最大級のベビーリーフの農業法人へと成長しました。更に、岡田さんが全株式を引き受けることで、親会社からの資本上での独立も果たします。黒字転換してから、既に3期。パートも含め23人が一丸となっています。
「やるからには東北で一番になろうという思いもある」という岡田さん。同時に、従業員の幸福度も追求したいと話します。
「従業員の幸福度のためには、理念やビジョンを示して、経営者は覚悟を持ってそれを実現していく。そのためにもっと地域と連携したいとも思っていますし、改善を続けないといけないですよね」

(編集協力:三坂 輝)

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