本記事は筆者の実体験に基づく半分フィクションの物語だ。モデルとなった人々に迷惑をかけないため、文中に登場する人物は全員仮名、エピソードの詳細については多少調整してお届けする。
読者の皆さんには、以上を念頭に読み進めていただければ幸いだ。
前回までのあらすじ
部会長として若手育成に奔走する僕・平松ケンは、近ごろ「教わった通りにやっているのに結果が出ない」という栽培相談が増えていることに気づく。就農2年目の小早川さんの玉ねぎ畑を見に行くと、生育はバラつき、例年と明らかに様子が違っていた。小早川さんはベテランの「昔ながらの作り方」を忠実に守っているが、気候の変化が激しい今、経験則だけでは通用しない場面が増えているのだ。
ベテランの知見を否定せず、しかし現実に合わせて“やり方を更新する”必要がある。若手とベテランの狭間で揺れながら、僕はまた部会長として難しい舵取りを迫られるのだった。
新人が直面する「お金の問題」
部会のトップ、いわば“ラスボス”を任されるようになってから、僕はそれまであまり力を入れてこなかった新規就農者の獲得にも本腰を入れるようになった。すると少しずつ、僕のあとに続く後輩たちが増えていった。
そして最近の僕は「すでに就農した新人たちのサポート」にも時間を割くことが多くなっていた。畑の段取り、作業の相談、市役所や農協での手続き―。面倒を見る範囲が広がるほど、当然ながら新しい課題も顔を出す。そんな中で、また困った問題が発生した。
ある日、就農2年目の片桐くんが畑にやって来た。普段から互いに作業で忙しく、面と向かって話すのは気づけば3カ月ぶりだった。

「ケンさん!お疲れ様です!」
20代後半の元サラリーマン。体力は有り余るほどあり、研修期間も「少しでも早く技術を身につけたい!」と朝早くから熱心に畑に出ていた。いつもなら、その声の勢いにこちらが気圧されるくらいだ。
ただ、その日は様子が違っていた。
「……実は、なかなか思うようにいかなくて」
元気ハツラツな片桐くんの顔が、いつになくどんより曇っている。僕は思わず手を止めた。
「どうしたの?」
「いや、栽培自体は何も問題なくて。いたって順調なんです……」
それから少し間を置き、言いにくそうに片桐くんが続けた。
「でもその……。資金繰りが思った以上にきつくて……」
畑は順調。けれど、財布の中身は別問題。新人農家をサポートする中で、僕はまた新しい課題に直面したのだった。
予想以上の出費に苦しむ日々
「ずっとサラリーマンだったこともあって、お金のことにあんまり詳しくなくて……」
片桐くんは畑の脇に腰を下ろし、泥のついた手袋を外しながら、ぽつりとこぼした。
僕は頷きつつも、胸の奥が少しだけ重くなった。農家は“作物を栽培する人”であるのと同時に、小さな経営者でもある。会社勤めのように毎月決まった給料が振り込まれるわけじゃない――。そのことは、就農前から折に触れて伝えてきた。伝えてきたはず、だった。
「もちろん、ケンさんから聞いてはいたんですよ」
片桐くんは苦笑いを浮かべた。笑っているのに、目が笑っていない。
「でも、実際に経験してみると……こんなにもお金が出ていくのかって。なかなか苦しいものですね」

農業は軌道に乗るまでの資金繰りが大変なビジネスだ。だからこそ、就農時には初期投資の負担を和らげる補助金や、生活費を下支えする給付金が用意されている。制度としては、以前よりずっと始めやすくなっている。
それでも、毎月決まった給与が入り、必要な経費を会社が負担してくれていたサラリーマン時代とは、ギャップが大きすぎる。
「まあ、それが分かったってことは、片桐くんも農家になったってことだよ!」
僕はなるべく明るく言ってみせた。冗談めかして笑えば、少しは肩の力が抜けると思ったのだ。けれど、片桐くんの表情は、晴れなかった。
「補助金を活用して設備投資した農機具も、当然ランニングコストがかかりますもんね」
片桐くんは指を折りながら続ける。
「燃料代も高くなってるし、定期的に整備するための費用も高額で……。本当に大変ですね。正直、甘かったと思います」
そう言い残すと、片桐くんは立ち上がり、背中を丸めたまま、とぼとぼと歩いていった。その足取りを見送りながら、僕は自分の中で小さく息を吐いた。
後日、片桐くんを自宅に招いて……
「ねえ、片桐くん。今度、うちに来てくれない?」
先日の、背中を丸めて帰っていった後ろ姿が、どうしても頭から離れなかった。
何かひとつでも、今の片桐くんの役に立つアドバイスはないか――。そう考えた僕は、後日あらためて連絡を入れ、自宅に呼ぶことにした。「改めて経営の話をしよう」と思い立ったのである。
電話から一時間後。
農作業を終えた片桐くんが、そのままの格好で玄関に立っていた。
「こんにちは、ケンさん。どうしました?」

「まあ、あがってよ」
僕はそう言ってリビングへ案内した。片桐くんは恐縮したように言う。
「すみません。なんだか汚い格好で来てしまって……」
「いいよいいよ。頑張ってる証拠だからね」
お茶を出し、向かい合って座る。
間を置くと、余計に言い出しづらくなる気がして、僕は早速本題に入った。
「先日、資金繰りに困ってるって話だったよね。僕からそのへん、少しアドバイスしようかなと思って」
「ありがとうございます!ぜひお願いします」
片桐くんが即答した。迷いがないぶん、切実さが伝わってくる。
「農業っていうのはね、最初のうちは作業に慣れてなくて、思ったほど売上が上がらないことが多い。なのに経費は普通に出ていく。さらに初期投資も必要だから、特に就農して数年はどんどんお金が減っていくんだよ」
片桐くんは大きく頷いた。
「まさに僕が今その状態です」
僕は頷き返した。まさに自分も通ってきた道だからだ。
「そうだよね。だから、補助金があるからってランニングコストがかかる設備をどんどん買うのは慎重になった方がいい」
僕は少し言い方を柔らかくして続けた。
「それとね、『どこまで生活費を切り詰められるか』も考えておいた方がいいよ」
「生活費……ですか?」
片桐くんはきょとんとした顔でこちらを見る。
生活費と言われてもいまいちピンと来ない――そんな顔だった。
「そう。水道光熱費、スマホ代、家賃、保険料。毎月必ず出ていく固定費を、できるだけ見直して下げておく」
僕は指を折りながら具体例を挙げていった。
「そうしておけば、売上が思うように上がらない時期でも“食べていける状態”を作れる。まずは、安心して農業を継続できる状態を確保するんだ」

片桐くんはしばらく考え込み、顔を上げた。
「なるほど……確かにそうですね。それなら今からでもやれそうです」
そして少し勢いよく頷く。
「いろいろ見直してみます!」
その瞬間、片桐くんの表情がほんの少しだけ明るくなった気がした。
危機が迫ってくると、人間は「視野狭窄」に陥りがちである。まずは冷静に現状を見つめ、できるところからはじめてみる――。
まだ霧は晴れきっていない。けれど、前に進むための足場ができそうだ――。そんな手応えを感じているように見えた。
売上だけに目を奪われるのは禁物
僕はお茶を一口飲んでから、最後にもう一つだけ、と前置きして切り出した。
「あとさ。売上に目を奪われすぎちゃダメだよ。特に『反収』(面積あたりの収穫量)ばかりにこだわりすぎると、経営がどんどん苦しくなる可能性があるから」
片桐くんが目を丸くする。
「え? なんでですか? 売上や収穫量が上がった方がいいですよね?」
僕は首を横に振りながら、言葉を選びつつ続けた。
「確かに一定の売上は必要だよ。でも、本当に大事なのは『利益』なんだ。もっと言えば……同じ時間でどれだけ利益を上げられたのか、そこに着目すること」
「簡単にいうと……『時給』みたいなことですか?」
飲み込みが早い片桐くん。僕は頷きながら続けた。
「そう。会社員の時って、そこまで意識しなかったと思うけどね。単純に売上だけを追っていくと、がむしゃらに働いても全然儲けがない、時間もない、って状態に陥りがちなんだ。そうなると抜け出すのは、なかなか容易なことじゃない」
片桐くんは眉を寄せ、うんうんと頷いた。
「確かに……。売上を無理に増やせば増やすほど、だんだん時給の安い仕事になっていきそうな気がします」
「そうなんだよ」
僕は少しだけ声を強めた。
「だから最初から『利益』と『時給』を意識すること。そうすれば、もし誰かを雇うことになっても、ちゃんと給料を払える状態を作りやすいからね」
そこから先も、僕の話は1時間ほど続いた。固定費の見直しから、投資判断の基準、売上が伸びない時期の考え方まで。片桐くんは途中からメモを取り始め、時々「それってこういうことですか?」といった質問も飛ぶようになった。

そして帰り際、玄関で靴を履きながら片桐くんが言った。
「ありがとうございます。だいぶモヤモヤが晴れた気がします!」
深々と頭を下げ、勢いよく外へと出ていった。
(僕のアドバイスで、何とか経営を軌道に乗せてくれればいいけど……)
僕はその背中を見送りながら、心の中で小さく祈るのだった。
レベル37の獲得スキル「農業“経営者”を育てるという発想を持て!」
農家は「作物を栽培する人」であると同時に「経営者」でもある。そのことは頭では理解できても、それを人に伝え、実感として身につけてもらうのは決して簡単ではない。栽培技術のように目に見えるものは教えやすいが、資金の流れやコスト意識、利益の考え方といった“経営者の感覚”は、実体験を通じて自分なりに学んでいく部分が大きいからだ。
特に新規就農者の場合、会社員時代の感覚との違いに戸惑うことも多い。売上と利益の違いや、時間あたりの収益といった考え方を、自分の判断基準として定着させるには、ある程度の時間と経験が必要になる。その中で、教える側には「どこまで伝えるか」「どこからは本人に任せるか」という難しい判断がつきまとう。手をかけすぎれば自立の機会を奪い、任せすぎれば遠回りをさせてしまうことにもなりかねない。一人の経営者として成長できるように支えていくことも、これからの農業を考えるうえで大切な要素の一つである。

















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