海外生活で痛感した日本食文化の価値
「そば屋で飲むって、こんなに面白いんだ」。桑岡さんがそばにのめり込んだきっかけは、農業ではなかった。
2017年、海外生活を終えて帰国した桑岡さんは、日本の食文化を改めて新鮮に感じるようになった。そんな中で出会ったのが、昼下がりにそば屋のカウンターで酒を飲み、食事を楽しみ、最後にそばで締めるという時間だった。
以来、「そば屋で飲む」ことがライフワークになった。SNSでは「蕎麦屋de上機嫌」として全国のそば店を巡り、そばの味はもちろん、店の空気や職人の所作まで発信してきた。やがて、そば店を通じて粉屋や職人、生産者ともつながっていく。
「知れば知るほど、そばってすごい。いろんな人の技術やこだわりがつながって、一杯のそばになっているんです」単なる趣味だった「好き」が、人との出会いを生み始めた。

蕎麦インフルエンサーの桑岡さん(写真右)
転機となったのが、北海道・幌加内のそば産地との出会いだった。
美しいそば畑の一方で、現場には担い手不足や収益面などの課題が広がっていた。
そこで桑岡さんが感じたのは、「農業を守らなければ」という使命感よりも、もっと個人的な危機感だった。
「この風景が、この営みが、いつか消えてしまうかもしれない。僕が食べたいそばも食べられなくなる。8年間続けてきたライフワークもなくなってしまう。それは困るなと思ったんです」
それまで「蕎麦屋de上機嫌」として蕎麦文化の魅力を発信していた桑岡さんは、蕎麦を取り巻く課題に、自ら関わることを決めた。

美しいそば畑の様子
発信者から実践者へ
こうして2023年11月、合同会社Tsunagiを設立した。社名には、人と人、地域と都市、過去・現在・未来を「つなぎ直す」という思いを込めている。
活動の一つが、そばの製粉過程で生まれる「ふすま粉」のアップサイクルだ。粒が大きくそば打ちには向かないため廃棄されてきた副産物を活用し、クラフトビール「アップサイクル蕎麦クラフトtsunagi」として新たな価値を与えた。
さらに、そば畑オーナーシップでは、都市に暮らす人が産地を訪れ、種まきから収穫まで農家と一緒に体験する機会をつくっている。

そば体験の様子
桑岡さん自身の「そばが好き」という小さな思いから始まった活動は、少しずつ農業や地域の課題と結びついていった。桑岡さんの活動で特徴的なのは、自分一人ですべてを解決しようとしないことだ。
農家、そば職人、企業、クリエイターなど、それぞれの専門性を持つ人を巻き込み、そばを媒介に新しい価値をつくっていく。
その一つが、そばの一生を題材にした企業向けの越境プログラムだ。
種をまき、育て、収穫し、粉にし、そばを打ち、食べる。
この「そばの一生」を自分自身のキャリアに重ね、「自分はこれまで何に種をまいてきたのか」「誰に育ててもらったのか」「今、自分はどんな実になっているのか」と考える。
蕎麦を学ぶだけではない。農業を体験しながら、自分の仕事や生き方を見つめ直す場にする。
「自分だけでやるのではなく、いろんなプロフェッショナルが加わることで、今まで生まれなかった新しい価値が生まれる。そこをやっていきたいんです」
蕎麦を「すする」を文化へ。Mummy-Dさんらクリエイターも参画
Tsunagiでの活動を通じて、桑岡さんは志を同じくするクリエイターたちと出会っていった。そのつながりはやがて、新会社である株式会社ずずずの設立へと発展する。
音楽や映像など、クリエイティブの力を掛け合わせながら、そばの本質を世界に広げていく。それが、桑岡さんが新たに始めた挑戦だ。
海外にそばを広げようとすれば、一つの壁にぶつかる。「すすって食べる」という日本独特の文化だ。
「外国の人は、そもそもそばを知らない。そして、すすることもできない。でも、それなら『すする』こと自体を、かっこいい文化にしてしまえばいい」
そこで、そばと音楽など異なるカルチャーを掛け合わせる。株式会社ずずずには、ヒップホップグループ・RHYMESTERのMummy-Dさんに加え、MIDICRONICAの716さん、クリエイティブを手がけるGenica代表の佐藤右崇さんも参画。それぞれのプロフェッショナルが専門性を持ち寄り、「蕎麦×クリエイティブ」を軸にした新しいカルチャーづくりを進めている。一見すると、そばとヒップホップは遠い存在に見える。しかし桑岡さんにとって、異なる文化を掛け合わせることこそが、伝統を未来につなぐ方法だ。
「寿司も最初は、生魚を食べることや、職人が手で握るスタイルなど、海外の人にとって受け入れられにくい部分がありました。しかし、現地の食文化や嗜好に合わせて形を変えながら海外に広がり、やがて「SUSHI」という新しい価値を持つ食文化へと発展していきました。そばも10年、20年かけて、世界の人に『日本らしくて粋な文化』だと思ってもらえるものにしたい」

左より、Mummy-Dさん、桑岡さん、MIDICRONICA 716さん
2026年のずずずの発信でも、「そばをすする」という行為を粋な日本のスタイルとして世界に定着させることを掲げ、音楽や映像、ファッションなどを含めたカルチャーとしての展開を目指している。
目指すのは、そばを売ることだけではない。
そばを食べる人が増えれば、農家が必要になる。職人が必要になる。店が必要になる。そして、そこに新しい仕事や文化が生まれる。
「そばに関わるみんなに利益が行き渡る状態をつくりたい。自分たちだけが儲かっているのでは意味がないんです」
一人の会社員が抱いた「そばが好き」という偏愛は、いつしか人と地域を動かす活動になった。
好きなものを起点に、人と人をつなぐ。異なるものを掛け合わせ、新しい価値をつくる。
桑岡さんがそばを通じて「つなぎなおそう」としているのは、そばそのものだけではなく、食と農、地域と都市、そして日本文化のこれからなのだ。
取材協力:株式会社ずずず















