「日本の田んぼを守る」パーマネントな酒蔵・仁井田本家【後編】 – マイナビ農業

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「日本の田んぼを守る」パーマネントな酒蔵・仁井田本家【後編】

「日本の田んぼを守る」パーマネントな酒蔵・仁井田本家【後編】

最終更新日:2018年09月10日

福島県郡山市の「仁井田本家」は、1967年から自然米(栽培期間中、農薬・肥料不使用)のお酒を製造販売している“自然酒”の先駆者。「創業300年の2011年にすべての日本酒を無農薬のお米で造る」という目標が達成され、2013年からはすべてのお酒が自然米と自然派酒母を使った純米酒です。奇しくも、創業300年目となる2011年には東日本大震災と福島第一原発事故が発生。それまで田んぼに注がれてきた「持続可能(パーマネント)」の視点が、後継者育成や事業継承にも向けられる転機となりました。

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次の代、その次の代へ

さまざまなイベントを打ち出して人が集まる酒蔵となった仁井田本家

1711年創業の仁井田本家は、1967年から自然米のお酒を製造販売していました。農薬不使用のお米の日本酒は一部だけでしたが、18代目蔵元・杜氏の仁井田穏彦(にいだ・やすひこ)さんは「創業から300年の2011年には自社の日本酒のすべてを無農薬のお米で造る」という目標を掲げてきました。そして、ついに迎えた2011年。宣言通りにその目標を達成したのです。

ところが、その年の3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故が発生。仁井田本家だけでなく、福島県内の農家や加工業者などは、これまで地道に築き上げてきたものを足元から崩される事態に陥りました。

仁井田本家の日本酒の売上も激減しました。当時、仁井田さんの妻・真樹(まき)さんは妊娠中。放射能の影響を懸念して、東京に避難しました。一方で、仁井田さんは蔵に残って日本酒を造っていました。

「300年を迎えたというときに、なんでこんな仕打ちを受けなければならないんだ」。いろいろな思いがめぐりました。しかし、長期的な視点で考えてみると、「300年も酒造りをやっていたら、きっと過去にはこういう大きな事件もたくさんあったに違いない」と思え、前を向くことができるようになったと言います。

仁井田さんは約20年前、28歳という若さで社長に就任。父は体が弱かったため、早い時期からの代替わりが求められていました。
「自分の代で親父の代よりも販売量が少なくなってしまうのは嫌だ、絶対に成功してやる、と思っていました。あのころは、日本酒が売れないことを社員のせいにしたりしてね。ぴりぴりしていました」。重責と気負い。それが、仁井田さんを追いつめていました。

ところが、原発事故を経て、仁井田さんの思いに変化が生まれてきたのです。「自分の代で販売量が減ったとしても、お米作りとお酒造りを将来にわたって繋いでいけば、きっと次の代かその次の代が盛り返してくれる」。

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