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ヨメ=修行僧!? 昭和の名残り漂う同居生活【田舎暮らしのリアル#8】義両親と同居編

ヨメ=修行僧!? 昭和の名残り漂う同居生活【田舎暮らしのリアル#8】義両親と同居編

「嫁入りして夫の家族と同居」。いまや都市部では絶滅危惧種のような暮らし方ですが、地方ではまだまだ現役の選択肢です。特に親元就農やUターンを考える人にとって、両親と同居するか否かは避けては通れないテーマかもしれません。都会育ちの私が農村で実際に経験した嫁入り同居生活は、もはや異文化ホームステイでした。家族という言葉の裏にある“構造”とは。そしてそれが日々の暮らしに与える影響は。 この記事では、同居の中で見えてきた家制度の残像と、そこに組み込まれる個人の葛藤を描きながら、「納得して暮らす」ための視点を探ります。

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ヨメ、ホームステイする

学生時代、海外でホームステイとシェアハウスを経験した筆者。そして、結婚から数年後に同居を始めて思ったのは、夫の実家で暮らすというのは「圧倒的にホームステイ」に近いということです。

ホストファミリーの家で暮らすというのは、自由なようでいて、実はかなり制限のある生活です。食事の時間、掃除の仕方、家のルールはすべてホストに従うのが基本。話し合いはできても、決定権は常に“迎える側”にありました。義両親との同居も然り。50年以上住んでいる先住民(義両親)が迎える側で、ヨメは新たに入り込む側。暗黙の了解として家のルールや価値観に従う立場となるのはもはや自然な流れです。

もちろん「このルール変じゃない?」と思えば意見することもできますが、気になるもの全てに反応していたらキリがありません。そもそも長年の慣習を嫁一人で変える労力は半端ではないのです!結果として私は自由に暮らすというよりも、元からのルールの中で家に“滞在させてもらっている”状態になりました。多くの嫁たちは、「義実家に“ホームステイ”している」。そう言っても、あながち間違いではないかもしれません。

リビングでラスボス戦。昭和的家制度が残る空間支配

同居のように複数の人が生活を共にする場合、“仕切り役”が必要な場面がしばしばあります。ただ、その役割が個人の資質ではなく、昭和的な家制度の名残で決まってしまうのが嫁入り同居の注意ポイントです。慣習や年長者を敬う文化のもと、決定権が「父」や「年長者」に集中し、主従関係が形成されているのです。しかもその関係は予想以上に固く強力でした。

この構造は空間の使い方にも反映され、リビングは父、台所は母、若夫婦は寝室のみといった具合に各部屋の主権者が割り振られていきます。「この家は自分の思い通りにはならない」。そんな己の権利の弱さをひしひしと感じるばかりです。

たとえば子どもに宿題をさせるためにリビングのテレビを消したいと思っても、そこで対峙するのはテレビを見ているリビングの主、義父。いわばラスボス戦です。義父も悪意があるわけではなく、長年の習慣の中で“普通”を守っているにすぎませんが、日々こちらのメンタルが削られるのは言うまでもありません。

つまり私の経験した嫁入り同居は「家族が共に暮らす」営みであると同時に、「制度的な力関係に沿って暮らす」仕組みでもあったのです。

修行僧のような昔のヨメ生活

とは言え、「今はまだマシなんだから!」と言われるように、昔の嫁入り同居生活はもっと大変だったようです。現在70〜80代の、かつてのヨメたちに話を聞くと、「食事も入浴もいつも最後」「義両親への反論は“もってのほか」「親は白いタオル、自分はボロタオル」といった証言が次々に語られます。とんだ家庭内格差社会で、ヨメとは修行僧だったのかと思うほどです。

こうした背景があるからこそ、今となっては「息子家族には絶対に同居を勧めない」と語る姑も多く、現在のように同居が減少傾向にあるのでしょう。ちなみに、「同居を勧めない舅」がほとんど存在しない点が、家庭内の権力構造の偏りと、権力上位者が下位層の困難を想像ができない現実を物語っている気がします。

ただし、「昔に比べれば楽なもんよ。私たちは我慢したんだから、あなたも我慢しなさい」と言う意見に対しては強く反論しなくてはなりません。過去の苦労を理由に、構造的な問題を個人の忍耐にすり替えてしまうことは、なんの解決にもならないからです。これらは問題の解決にならないだけでなく、今の世代の思考を停止させ選択肢を狭めてしまいます。偏った犠牲の連鎖は未来に残すべき遺産ではないのです。

「我慢」が前提になる理由

そもそも、なぜ生活する上で“我慢”が前提になっているのでしょうか。それは、同居という暮らしが「家族だから助け合うべき」という道徳のもとに語られることが多いからと考えられます。でもこの言葉は、実は「家族だから耐えるべき」と言っている時があるように感じるのです。どうも私には「家」が「個人」よりも優先され、そしてヨメに限らず他の家族メンバーも人権がないがしろにされていると思うときが多々ありました。

「父」だから全てを決定し家の責任を取り、「母」だから家事育児介護を一手に担い、「息子」や「嫁」は親に従い家を受け継がなくてはいけない。平成・令和を生きるヨメたちは小学校の時から個人尊重の教育を強く受けているので、この家族の固定された役割というのは「あまりにガッチガチ」に感じます。

家制度的な文化に感じる違和感を訴えれば、年長者からは自分本位だ、身勝手だと批判されるかもしれません。しかし、これは誰かを責める話ではなく、“構造”がどう暮らしに影響するかを考えるための視点です。制度に合わせて生きるだけでなく、制度そのものを問い直す必要を感じます。

強固に引き継がれる価値観

ただ、このガッチガチの家族の形を変えようとヨメが奔走しても、それはとても難しいことだと言うのを私は同居で痛烈に実感したのです。事件はある日の夕飯時に起こりました。小学2年生の息子が豆腐に醤油をかけようとしたところ、ちょうど醤油が切れていたのです。

すると息子は、席を立つこともなく義母に向かって「醤油は?」と一言。まるで義父のコピーのようでした。思えば、同居前は自分でストックから醤油を出していた夫も、最近では義母に取らせるようになっていました。義母は必ず食事の手を止めて、食べ続ける息子に醤油を持ってきてあげるのです。ここは定食屋じゃないし、義母は店員ではありません。自分で取りに行け、孫よ、息子よ。

しかし、義父に「醤油を取りに行って」と言っても、決して動くことはないでしょう。そもそも醤油のストック場所を知りません。そして孫はそんな祖父の姿を毎日毎日見続けるのです。私は、日々の暮らしで脈々と受け継がれる価値観を目の当たりにし、子供達をこの再生産に組み込むことはどうしても容認できないと思い、早急な同居解消を決意しました。

「制度を暮らしに合わせる」──同居の再設計へ

私の体験したヨメ入り同居は、「昔からの価値観」や「家のルールに合わせる暮らし」を強く感じるものでした。もちろん、全く違う考え方の家庭や、息子家族の勢力が強い家など色々な形があると思います。同居にも多様な暮らし方があるので決して一概にいうことはできません。いずれにせよ大切なのは、中の人たちが楽しく幸せに暮らしていることだと思います。

私自身はかつてハウスシェアをして中国人とアメリカ人と一緒に生活したことがあります。 文化や意見が違う中でぶつかることはあっても、楽しくやっていけたのは、それぞれを尊重し、対話を重ねていたからだと思います。価値観の相違が同居を必ずしも居心地の悪いものにするとも限りません。ただ、性格や世代によって、古くからの慣習や思想が、そう簡単には変わらない場合も多いのです。 一生変わらない場合もあります。 だからこそ、これから同居を考える人には、「相手は変わらない前提」で現実的な選択をすることをおすすめします。

私たちは、確かに“家族”という制度の中で生きています。でも、暮らしは制度ではなく、日々の選択の積み重ねでできるものではないでしょうか。一人一人個性があるように、ひとつひとつ家族のあり方は異なり、一つの制度に当てはめることは到底できないはずです。
“我慢”を前提にした暮らしではなく、“納得”を前提にした暮らしを選び、幸せを感じたいものです。

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