父親は田んぼへのこだわりが強かった
「父が亡くなったら田んぼを売ろうと思っていた」。取材で彼はしみじみとそう語った。年齢は50歳。その言葉通り、所有する田んぼの3分の2に当たる約1.6ヘクタールを売却した。
残りの0.5ヘクタールのうち、0.3ヘクタールは別の農家に貸している。できればこちらも売りたいと思っている。0.2ヘクタールは条件が悪くて借りる人が見つからず、やむなく自分で草刈りだけはしている。
雑草を生え放題にしないのは、周りの田んぼに種が飛ぶことを気兼ねしてだろうか。それとも「田んぼが荒れる」ことへの心理的な抵抗感からだろうか。作付けはしなくても、「自然に返す」ことはまだ食い止めている。
父親は田んぼへのこだわりが強く、息子である彼に対して「売るな」と念を押していた。これに対し、彼は「田んぼへの愛着はない」と話す。実家とは別の場所に住み、会社に勤めているので自身は農家という意識も薄い。
これだけ聞くと、農地を大切にする父親の姿勢に共感する農家が多いかもしれない。だが農業の未来にとって本当に意味があるのはどちらだろうか。今回のインタビューはその点に関して考えを改めるきっかけになった。

借り手がいない田んぼは草刈りをしている(写真はイメージ)
農地への執着の背後にある「地域での発言権」
農地を手放すか否かを考える上でのポイントの1つが、そもそも農業で家計が成り立っていたかどうかだ。2ヘクタール強という面積でわかるように、答えは「否」。それでも地域では、農地を多く所有している方だった。ここが事態の理解にとって重要になる。
父親は別の仕事もしていて、軽トラやコンバインなどの購入資金は兼業収入を充てていた。息子である彼は農作業を手伝っても、作業賃をもらったことはなかったという。家族の無償労働が支えなのも典型的なパターンだ。
水利施設の維持や管理を担う組織である土地改良区の賦課金も負担になっていた。コメを売った代金は、種もみや肥料の購入費、土地改良区の賦課金でほぼ消えた。本来なら持続が難しい経営モデルが、長年続いていた。
ではなぜ父親は田んぼを手放さず、経済的には割に合わないコメ作りを続けていたのか。この問いに対し、彼は「地域へのみえや世間体のようなもの。土地には力がある」と語った。この話は決して抽象的なものではない。

「土地には力がある」(写真はイメージ)
神社や墓の掃除をはじめとして、地域の共同作業を誰が負担するかは寄り合いで決まる。そこで圧倒的な発言権を持つのは、農地の所有者。彼はその理由について「土地信仰のゆえだろうか」と話す。実情はいまも変わらない。
数年前に父親が農作業ができなくなり、田んぼを他の農家に貸した。土地改良区の賦課金を負担するのは引き続き地主。地代と天秤にかけると、収支はマイナスだった。
商業施設などに転用して売却するのが難しい地域なので、田んぼを持ち続ける意味はいよいよ希薄になった。そこで父親が亡くなったのを機に、もともと田んぼを借りていた専業農家に売却した。今年3月のことだ。
「ただでもいい」との気持ちで、売却の話を持ちかけた。相手の農家は「それはよくない」とし、一定の金額を払ってくれた。「こんなにもらっていいのか」。彼はそう感じたという。
買った農家は「あぜをなくす」
ここで農地を買った側に視点を移そう。「この先農家が減っていくことを考えれば、米価は再び上がる可能性がある」。そのときを見据え、売り上げから地代を払わなくてすむ所有地を増やしたいと考えたのだ。
しかも購入した1.6ヘクタールのうち、3分の1を占める2枚は隣り合わせの場所にある。購入したことであぜをなくし、1枚の田んぼにすることもできるようになった。
この辺りは地域差があるだろう。場所によっては、あぜをつぶすことに難色を示さない地主もいる。だがそうでない地域もある。今回取材したケースでは、農地を買ったことで可能になった。これで効率化に弾みがつく。

















