目標は家族経営で30ヘクタール
2人の栽培面積は現在23ヘクタール。高齢農家の引退などで農地の流動化が加速する中、短い期間で順調に面積を拡大してきた。このまま田んぼを増やし続け、30ヘクタールまで広げることを視野に入れている。
この面積について、侑希さんは「大規模農家になりたいわけではない」と話す。近くに100ヘクタールを超す農場があるのを意識しての言葉だが、稲作の平均的な経営規模からすればこれでも十分に大きい。
むしろ面積を大きくし過ぎると、栽培が不安定になるリスクもある。スタッフを雇ったりせず、家族でコメ作りをしようと思えば30ヘクタールは適正な規模だろう。米価の動向にもよるが、収益をきちんと確保できる。
もともと良太さんは自動車の整備会社で働いていた。農業を始めようと思ったのは「田んぼをバックに車の写真を撮りに行くなど、田園風景が好きだから」という。
研修先に選んだのは、同じ加須市の早川農場だ。早川良史(はやかわ・よしちか)さんは多くの就農希望者を受け入れて技術を教え、就農後もさまざまな形でサポートするなど地域の「篤農家」と言うべき存在だ。
早川さんのもとで5年間研修した後、侑希さんとの結婚を機に独立した。2023年のことだ。この年に起きたことは、後に稲作にとって大きな意味を持つことになった。「令和の米騒動」の起点となった年だ。

早川良史さん
米価上昇で営農が軌道に
独立して1年目の2023年、記録的な猛暑が稲作を襲った。2人はその年の収量について「あまり取れなかった」と振り返る。
この言葉は当時の状況をリアルに表現している。多くの農家の実感は「多少猛暑の影響があったかな」というものだった。1等米比率は落ちたが、収量そのものは大きく落ち込んでいなかったからだ。
年明け以降に問題が明らかになる。高温障害の影響で、精米したときに米粒が割れるという事態が続発したのだ。精米時の「歩留まり」の低下は、その後のコメ不足と米価上昇の原因となる。
2年目はイネカメムシが大量に発生した。被害は県全域に広がったが、加須市はとくに深刻な地域だった。

イネカメムシ(埼玉県病害虫防除所提供)
実は2018年版の埼玉県のレッドデータブックで、イネカメムシは「ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高い種」に分類されていた。それが突如復活した。気温の上昇が影響したと見られている。
それでも2024年は先行きを悲観するような年にはならなかった。前年の猛暑の影響で全国的にコメ不足が顕在化し、米価が急上昇し始めていたからだ。多くのコメ農家が感じたことだろう。
2人の場合も収量は半分ほどに減ったが、米価が上がっていたおかげで「ある程度利益を出すことができた」。
3年目はカメムシ対策で防除用のドローンを用意して臨み、期待通りの収量を確保することができた。米価は引き続き高水準で、営農に弾みがついた。

防除用のドローン
精米機と色彩選別機を購入
めまぐるしく営農環境が変わった3年の間に、2人が感じたことがある。1つは周囲の小規模農家の多くは、ほとんど利益が出ていないという点だ。

















