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農協・市場の出荷ゼロ。愛媛の急傾斜地で年間11億円を稼ぎ出す「1人1票の地域協同組合」

鈴木 雄人

ライター:

農協・市場の出荷ゼロ。愛媛の急傾斜地で年間11億円を稼ぎ出す「1人1票の地域協同組合」

愛媛県西予市明浜町にある宇和海を見下ろす石積みの段々畑。この地で「柑橘の無農薬・無化学肥料栽培なんて無茶だ」と笑われながら始まった無茶々園は2026年、創業50周年の節目を迎えた。125ヘクタールにおよぶ有機・特別栽培柑橘の販売額はグループ全体で11億円を超え、個人直販や生協との直接取引だけで全体の7〜8割を占める。しかし、彼らの本質は、単なる「こだわりみかんの販売会社」ではない。「自分たちがこの地で暮らし続けるために、足りないものは自分たちで賄う」という心意気だ。この多角的な「地域協同組合」の流通・実務、リアルな地方再生の最前線について、株式会社地域法人無茶々園の専務・平野拓也(ひらの・たくや)さんに話を伺った。

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「地域協同組合」という意思決定システム

愛媛県西予市明浜町。海岸線から一歩足を踏み入れると、トラクターが入るのが難しいほどの急傾斜地に、石垣の段々畑がそびえ立っている。効率的とは言えないこの条件不利地こそが、無茶々園の11億円を超える売上を生み出している。

まず、同社の農業の特徴は、急斜面で作られる多品種柑橘栽培にある。この急斜面で、温州みかん、伊予柑、ポンカンなど約40品種の柑橘を年間を通じて栽培。栽培方針は、創業時から一貫して「環境保全型農業」だ。農薬は有機栽培基準を優先し、最低限の使用に抑える。この「無茶だ」といわれた挑戦が、地区の約7割の農家へと広がり、現在の125ヘクタールという広大な生産規模を誇っている。

無茶々園の段々畑

この広大な農地を維持・運営するための組織体制が、「地域協同組合」という多機能システムである。無茶々園は単一の組織ではなく、それぞれに特化した以下の主要4法人を核とした連合体だ。

・農事組合法人無茶々園
明浜の個人農家(現在58人)が全員加入する、生産体制の根幹。全量販売の共販体制を基本とし、栽培技術の共有や、農家同士の合意形成を行う議会としての機能を持つ。

・株式会社地域法人無茶々園
農家が「生産」に集中できるよう、販売、選果・出荷場の運営、商品開発、経理事務などの「非生産部門」を一手に担う流通の中核。

・有限会社てんぽ印
県内外から農業を志してやってくる新規就農者を受け入れるための直営農場部門。初心者でも安定して定着できるよう「給与制」を導入し、約25ヘクタールの農場で企業型農業と野菜の加工を実践している。

・株式会社百笑一輝
地域の高齢化に対応し、デイサービスや有料老人ホームを運営する福祉部門。

これら形式の異なる複数の法人や、地元の漁業者(ちりめんの「祇園丸」、真珠の「佐藤真珠」)をまとめ、統括機能を果たしている事務局が「地域協同組合無茶々園」である。

「ややこしいんですけど、この地域協同組合自体に法人格はなく、それぞれの法人が対等に人を出し合って、1人1票の議決権で方針を決めていく『議会』のような運営スタイルを取っています」

平野さんが語るように、ここでは出資額ではなく「1人1票」の対等な関係が貫かれている。農薬使用基準の変更ひとつを取っても、20人の理事が集い、全員が納得するまで議論を尽くす。

一見すると非効率とも思われるこの意思決定プロセスこそが、農家や職員に当事者意識を植え付け、過酷な条件不利地で50年間事業を存続させてきた組織の強さなのかもしれない。

明浜町は柑橘だけでなく漁業も盛んに行われる

市場・農協出荷はほぼゼロ。1万人の直販と生協を支える交渉力

日本の多くの柑橘産地が、農協や卸売市場を主軸とした価格決定権のない流通に依存するなか、無茶々園の流通構造は異なっている。市場への出荷はごくわずかで、農協出荷にいたっては「ゼロ」だ。

なぜ、彼らは市場を必要としないのか。

「元々、農薬削減や有機栽培に特化してスタートしたため、どうしても生鮮品としての見た目は一般的な化学農薬を使ったみかんに比べて劣ってしまいます。1年かけて丹精込めて作っても、見た目の美しさを重視する卸売市場では適正に評価されづらい。だからこそ、価値を理解して直接買ってくれるお客さんを自分たちで探してきた歴史があるんです」

無茶々園の現在の販売ポートフォリオは、個人への直販が約3割(約1万人規模)、生協が約5割。直販と生協の二軸だけで、全体の約8割の販路が確保されている。

この強固なネットワークは、一朝一夕で築かれたものではない。1970年代、高度経済成長の影で「食の安全」に対する都会の消費者運動が芽生え始めた時期と、無茶々園が「無茶な無農薬栽培」に挑戦し始めた時期が重なっていた。

「営業でひたすら売り込みに行ったというより、生協とは日本の有機農業と消費者運動の黎明期から、お互いに支え合いながら一緒に育ってきた歴史的な関係性が大きい」

しかし、「歴史的な絆」という情緒だけに甘んじることはない。時代とともに生協も企業的な組織へと変わり、担当バイヤーも数年で入れ替わる。かつてのような「共感」だけでは、適正な取引単価の維持は困難になる。

そこで、無茶々園は早くから「販売・事務のプロ」を内製化し、株式会社地域法人無茶々園を設立した。

「取引先に対して、ただ『こだわりのみかんです』と訴えるのではなく、専門のスタッフを置いて、情報収集と単価交渉を日々行っています。市場の価格乱高下に流されないために、こちらから適正な単価をデータと論理で提案し、コミュニケーションを絶やさない。これが、農協を通さずとも安定した経営を維持できる最大の要因です」

無茶々園に加入する農事組合法人の農家に対しては、豊作であっても不作であっても「全量引き取り・固定単価」での買い取りを基本としている。市場価格が暴落した年でも、農家の所得は一定に保たれる。このルールが、気候リスクの最前線に立つ農家たちの生活を守る、セーフティーネットとして機能しているのだ。

無茶々園のみかん畑

みかん山を丸ごと使い尽くす「yaetoco」のアップサイクル

気候などのリスクが大きい農業経営では、持続可能性を高めるためには、生鮮品の販売だけに頼る経営からの脱却が必要だ。無茶々園が仕掛ける六次産業化。その象徴が、コスメブランド「yaetoco(ヤエトコ)」だ。

「みかんジュースを搾ると、大量の果皮(搾りかす)が残ります。これには、柑橘の表面に含まれるアロマ成分(エッセンシャルオイル)が豊富に残っている。もったいないから、上流してオイルを抽出しようと始まったのが yaetoco の原点です」

しかし、アロマオイルをそのまま販売しても、日常的にアロマを使用する限られた層にしか届かない。そこで彼らは、オイルを主原料としたハンドクリームやバスミルクなどの「オーガニックコスメ」としてプロダクトを再定義した。

ただ製造をOEM(委託製造)に任せるだけでなく、デザインやプロモーション、パッケージのリニューアルを自社で徹底的にコントロール。その結果、yaetoco は全国のバラエティショップや松山などの観光地のお土産店など、120店舗以上で取り扱われる人気ブランドへと成長した。

ジュースを搾った後の果皮は、コスメ(精油)、マーマレード、レモンコショウなどの調味料に分岐し、最終的に残ったかすは100%たい肥化されて再びみかん山へと還る。余すところなく使い尽くす地域循環である。

地域発オーガニックコスメ「yaetoco」シリーズ

「老害」なき世代交代。20代〜40代へバトンを渡す

日本の多くの農業生産法人や地域組織が直面する問題。「偉大な創業者や高齢のリーダーがいつまでも意思決定権を握り続け、若手が育たずに組織が老いていく」という実態だ。だが、無茶々園の役員構成を覗くと、その風潮が排除されていることが分かる。

「不思議なんですけど、無茶々園には、若い人にどんどん役割と決定権を回していくカルチャーがあるんです」

2026年現在の地域協同組合無茶々園の理事会には、1974年に組織を立ち上げた片山元治さんら70代・80代の創設メンバーは一人も名を連ねていない。60代すら珍しく、意思決定の中心は、移住者や若手を中心とする40代以下へと移りつつある。

ではなぜ、無茶々園にはこれほど「人を惹きつける力」があるのか。

「私たちはこれまで大々的な求人募集をほとんど出していません。それでも、農業がしたい、地方で暮らしたいという若者たちが、無茶々園の取り組みをどこかで目にして、紹介や問い合わせを通じて全国から集まって、そのまま定着していくんです」

その受け皿となっているのが、かつて就農希望者の研修を担った「天歩塾」と大規模農場部門を統合し、新規就農者が「給与制」でチームとして働ける体制を整えた直営農場部門、「有限会社てんぽ印」の存在だ。

一般的に、未経験者がゼロから独立して有機農業を始めるのはリスクが大きすぎる。てんぽ印では、新規就農者を「給与制」の社員として受け入れ、野菜や柑橘の生産・加工をチームで標準化して実践している。今では、地域おこし協力隊などお金を貰いながら農業を学ぶ方法もあるが、無茶々園は行政が取り組むよりも、いち早く取り組んでいたのだ。

実際、平野さんも農業をやりたくて、移住しており、以前はてんぽ印の前身組織で生産をしていたという。

てんぽ印では柑橘以外にも野菜も作る

地域の存続こそ最大の生存戦略

「みかんの増産で市場を制覇したいわけではない」

無茶々園が目指すゴールは、地域内で生活に必要なあらゆる要素を自給し、自立したコミュニティを維持することだ。彼らはこれを「FECWH」と呼んでいる。

F(Food=食料):有機みかんや野菜、海の恵みの生産
E(Energy=エネルギー):太陽光発電など自然環境との共生
C(Care=福祉):高齢になっても輝ける「百笑一輝」の介護
W(Work=雇用):若者や女性、外国人実習生が安心して働ける場の創出
H(Home=住環境):廃校の利活用や、安心して暮らせる地域生活空間の維持

なぜ、一つの農業グループが、農業とは直接関係のない「高齢者介護」や「お墓のメンテナンス」、果ては「小売チェーンとの協働の構想」にまで手を広げるのか。

「極めてシンプルな理由です。この明浜町という地域が崩壊して、誰も住めなくなってしまったら、いくら素晴らしい有機みかんを作っても、出荷することも、会社を維持することもできなくなるからです」

過疎高齢化率が5割を超える明浜町において、地域の唯一の買い物インフラであった農協の「Aコープ(スーパー)」が撤退したことは、地域に買い物難民を生み出すことになる。車を持たない高齢者や、無茶々園の生産現場を支える外国人技能実習生にとって、日常の「買い物」ができないことは、そのまま「住み続けられない」ことを意味する。

無茶々園が位置する立地

現在、無茶々園は産直取引のネットワークから繋がった小売チェーンとの情報交換も進めている。条件不利地への店舗展開を、地域の自治組織や無茶々園が一体となって実現しようという構想もある。

この「足りないものは自分たちでつくる」という自立精神こそが、無茶々園を50年間、日本を代表するサステナブルな地域協同組織として支え続けてきた原動力である。

取材協力
無茶々園

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