【プロフィール】語り手
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岩田浩幸さん クロップライフジャパン会長 大学の農学部で応用昆虫学を専攻。卒業後、農薬の研究・普及・営業など、約40年にわたって作物保護の現場に携わる。 |
【プロフィール】聞き手
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平沢裕子さん ジャーナリスト 産経新聞記者。主に生活面で食や健康をテーマに取材。農薬の登録や再評価にかかわる国の審議会の委員も務める。 |
このままだと、どうなる?
まずは、いま食の現場で起きていることの確認から。値段の変動として私たちが感じている変化の裏で、世界では何が起きているのでしょうか。
平沢:一時期、白菜が1玉1000円、トマトが500円、といった値段を見ることもありました。これらは極端な例ですが、ずっと物価の動かなかった日本で、急に食べ物が高くなってきた実感があります。
岩田:いちばん大きい要因は、やはり気候変動だと思います。世界のあちこちで干ばつや猛暑が起きていて、作物の収穫が減っている。そうすると輸出に回る量が減り、食料の供給が世界全体でアンバランスになる。日本の「令和の米騒動」も、数年前の高温でお米の品質が落ち減収になったことが発端でした。
平沢:でも日本にいると、米騒動以外は、スーパーにいつでも豊富に並んでいて、不足を感じにくいんですよね。
岩田:そこが落とし穴です。世界の人口は、いま約82億人。2050年には97億人になるといわれています。これから24年ほどで15億人も増える。一方で、いますでに世界には、7億人前後の飢餓人口がいるとされています。地球全体で見れば、食料は「足りない」んです。日本はお米以外の多くを輸入に頼っているので、他の国の事情が、そのまま私たちの食卓に響いてきます。

平沢:しかも、いまは円安です。
岩田:そうなんです。円が弱いと、輸入する食べ物はどんどん高くなる。さらに、中東の情勢で石油の供給が不安定になると、今度はサトウキビやトウモロコシから作る燃料(バイオエタノール)の需要が上がって、食べ物に回るはずの作物がエネルギーに回ってしまう。いろんな要素が絡み合って、需要と供給のバランスが崩れかねない。それが、いまの状況です。
なぜ、作物を「守る」必要があるのか
限られた土地で、必要な量を確保する。そのために欠かせないのが、病害虫から作物を守る「作物保護」です。そもそも、なぜそこまでして守らなければならないのでしょうか。
平沢:農業は自然でエコなイメージがあります。でも、農地をこれ以上増やすのはむしろエコじゃないんですよね。
岩田:まず、農業そのものが「自然」ではないんです。人が森を切り開いて畑にした、いわば人工的なもの。過去に問題となったアマゾンの森林伐採も、多くは農地を作るためです。だから、これ以上むやみに土地を広げるわけにはいきません。同じ場所で、いかにたくさん、質の良いものを収穫するか。そのために、病害虫による減収を防ぐ農薬など作物保護の技術が必要です。
平沢:単一の作物を広い面積で育てることは、虫にとって好都合だとも聞きました。
岩田:そのとおりです。ある作物が好きな虫にとって、一面に同じ作物が広がっているのは、ごちそうが並んでいるようなもの。だから病害虫は爆発的に増える。とくに日本は高温多湿で、虫や病気が発生しやすい。海外から梅雨前線の偏西風に乗って飛んでくる害虫もいます。あるウンカ(害虫)の仲間は、九州にたどり着くと、数世代で1匹が何千倍にも増えて、稲を枯らしてしまいます。
平沢:日本以外も同じ状況なのでしょうか。「ヨーロッパは農薬をあまり使っていない」という声も、よく聞きますが。
岩田:あれは、使わなくてもいい環境だからなんです。ヨーロッパは比較的乾燥していて、病害虫のプレッシャーがそもそも低い。逆に、高温多湿の日本や東南アジアは、しっかり守らないと作物が育たない。その代わり、日本は多様な作物が育ち、豊かな食文化が生まれた。表と裏なんですね。
農薬は、どう安全が守られているのか
作物を守る農薬に、不安を感じる人は少なくありません。とくに、過去に起きた問題の記憶は根強く残っています。いま、その安全はどう担保されているのでしょうか。
平沢:新聞の生活面で「残留農薬は今は問題ない」というような記事を書こうとして、ボツになったことがあります。過去のイメージが、まだ強く残っているんですよね。

岩田:世代によって、農薬へのイメージはかなり違うと思います。昔は、環境や作物の汚染、輸入作物から使ってはいけない農薬が見つかるといった問題がありました。その記憶から「農薬は怖い」と感じる人もいるでしょう。ただ、この30年ほど、農薬が原因で現場に問題が起きたことは、ほとんどありません。いまは二重、三重のリスク管理と、安全サイドに余裕をもって使い方が決められています。問題のあるものは登録を取り消し、より安全で、環境への負担が少ないものに置き換わってきました。
平沢:「再評価制度」も、私は委員として関わっていますが、本当に大変ですよね。
岩田:15年ごとに、すべての農薬を最新の科学で評価し直す制度です。一つひとつに膨大な試験が必要で、環境への影響も、作物への残留も、人への安全も、定期的に確認されます。一方、最近では、農家さんが「いつ、どの農薬を、どう使ったか」を記録する仕組み(トレーサビリティ)も、当たり前になっています。農薬は、ラベルの通りに正しく使えば、問題ありません。市場に出回っている野菜や果物は、安全なんです。
平沢:最近は、化学的な農薬だけに頼らない方法もあると聞きました。
岩田:「総合防除」という考え方です。天敵の虫や、虫が嫌がるにおいの成分を使ったり、ネットをかけたり、雑草を抜いて発生源を減らしたり。いろいろな方法を組み合わせて、環境への負担をできるだけ抑えながら守る。手間はかかりますが、そうした方向へ進んでいます。
平沢:これだけのことをしているのに、消費者にはなかなか伝わっていない。結局、安全であることと、消費者が安心できることは、別なんですよね。
岩田:そこが大事なところです。安全は、データで担保できる。でも、安心は、知ることでしか生まれない。事実を知っていただくことが、いちばんの近道だと思っています。

いま、農業で起きている“いい変化”
農業の課題は、決して小さくありません。けれど現場では、その課題を逆手にとるような、新しい動きが始まっています。とくに、テクノロジーと若い世代の参入が、農業の風景を変えつつあります。
平沢:ニュースでは、農家がどんどん減って、高齢化して、もう未来がない、という語られ方ばかりです。
岩田:人手不足は、たしかに深刻です。でも、見方を変えると、これはチャンスでもあるんです。小さな畑や田がまとまって大きくなれば、生産のコストは下がり、効率も上がる。若い人が会社のように経営する農家も増えていて、きちんと給料が出て、休みも取れる。そういう形に変わりつつあります。
平沢:この10年、20年で、農業の現場は本当に変わりました。
岩田:スマート農業が広がってきました。ドローンで必要な場所にだけ薬をまいたり、衛星を使った自動運転のトラクターが走ったり。水田の水温や肥料の状態を、スマホで管理する。人手が足りないぶんを、技術で補えるようになってきたんです。
平沢:スマホを持って畑に立つ農家さんを、よく見ます。
岩田:昔の「泥まみれで大変」というイメージとは、だいぶ違います。だから、都会から農業を志して移り住む若い人も増えている。収益もちゃんと上がって、ビジネスとして成り立つようになってきました。
平沢:私が高校生の頃は、農業高校というと、少し地味な印象がありました。でも今は、楽しそうなんですよね。かっこいい若手農家が、どんどん出てきている。

岩田:お米やお茶の輸出も伸びていますし、育てた野菜でレストランを開くような人もいる。農業のかたちは、一つではなくなりました。私はこの仕事を40年見てきましたが、変化はむしろ加速しています。
私たちに、できること
食べる側の私たちには、何ができるのでしょうか。特別なことではなく、日々の小さな選択が、実は大きな意味を持っています。
平沢:「国産のものを買う」という話をよく耳にしますよね。ただ、「多少高くても国産品を選びましょう」と言われても、現実にはなかなか難しい面もあると思います。
岩田:もちろん、値段の事情はあります。でも、農業を産業として続けていくには、消費者のみなさんに、安心して国産のものを選んでいただくことが、やはり力になる。しかも、この先も同じものが並んでいるとは限りません。ある作物に深刻な病気が出て、作れなくなり、店から消えてしまう。そういうことも、現実に起こり得ます。「選べるうちに、選ぶ」ことの価値は、これから大きくなると思います。
平沢:もう一つ、情報との付き合い方もありますよね。食べ物の話題は、正しいのか怪しいのか分からない情報が、あふれています。
岩田:生産者と消費者が対立する構図は、いちばん望ましくありません。大事なのは、事実を確かめること。分からないから不安になる。だったら、知ればいい。信頼できるところから、正しい情報を選び取る。その一歩が、そのまま「安心」につながっていきます。
食は、あなたとつながっている

最後に、この連載を読んでくれた若い世代へ。二人の言葉には、食の未来を担うのは自分たちだ、という手応えがにじんでいました。
岩田:食べることは、生きることそのものです。どんなにAIや技術が進んでも、食料の生産や食文化が失われたら、すべてが立ちゆかなくなる。農業は、人間のいちばんの土台なんです。そして、これからさらに可能性が広がる分野でもある。ぜひ若いみなさんにも、仕事として、学問として、関心を持ってほしい。
平沢:40年前には、スマホもドローンもありませんでした。それが今、当たり前に畑で使われている。ということは、今これを読んでいる10代の人たちが、20年後には、私たちには想像もできない農業を実現しているかもしれない。そう考えると、わくわくしませんか。
岩田:家にいながら畑を世話する。砂漠を農地に変える。そんな未来も始まっています。限られた土地で、いかに多く、質の良いものを収穫するか。その問いに挑み続けることが、農業のいちばんの面白さなんです。
平沢:毎日の食事は、たくさんの人と、技術と、工夫に支えられています。その背景を少し知るだけで、いつもの食卓が、まったく違って見えてきます。農業は、決して他人事ではありません。あなた自身と常につながっているんです。
【編集後記】
このシリーズでは、6回にわたって、私たちの「当たり前」の食卓の裏側をたどってきました。
スーパーにいつでも同じものが並ぶ不思議、気候とのたたかい、値段が動くしくみ、若手農家のリアル、作物を守る技術、そして食の未来。
見えてきたのは、「食べられるのが当たり前」という毎日が、実はたくさんの人と工夫によって、ギリギリで支えられているという事実です。
その当たり前は、これからも続くとは限りません。気候は変わり、作る人は減り、世界のどこかの出来事が食卓にひびいてくる。けれど、悲観することはありません。現場では、たくさんの人が知恵をしぼり、前を向いて進んでいます。私たちにできるのは、まず知ること。そして選ぶこと。その小さな積み重ねが、日本の食の未来を形づくっていきます。
次にスーパーで手に取る一つの野菜が、みなさんと農業をつなぐ入り口になるはずです。(取材・文=マイナビ農業企画制作部)




















